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2009年1月 6日 (火)

星護の『悪魔の手毬唄』

何年かに一度、お正月にフジが放映している横溝正史ドラマ。
実は横溝好きにして、星護ファンの自分としては、かなり楽しみにしております。
で、今回は『悪魔の手毬唄』。

32年前(!)の故市川崑作品が、あまりにも出来が良すぎるために、原作を相当勝手に解釈しまくっているにも拘わらず、そうした観点からの文句が入らないどころか、その後の映像化に際して(特に青地りか像に関して)決定的な影響を与えてしまったきらいがあります。
・・・ある意味で、渥美清が金田一耕助を演じた『八つ墓村』に似たところがあるわけです。

自分が原作を読んでの青池りかの印象というのは、市川崑が独自にアレンジした情に脆い憂い溢れる女性では決してなく、意外と冷静に自分の犯罪がどう捜査されているのかを伺う(耕助と磯川警部が推理を巡らせるところに、お茶を運んでくるという描写が常にある)怜悧な女性であり、また我が子を手にかけてもなお、大空ゆかりを殺めようとする、ある種の狂気に憑かれた鬼女でした。・・・もちろん、動機付けとなる女の性や哀しみという“憂い”があるのは確かですが・・・
ただ、原作ではそのりかの心情や想いというのは、あくまでも耕助の想像の域を出ないので──謎解き編は、すでにりかは死んだ後ですからね──、大変淡泊な印象があります(それ故、市川崑のような、常識的な母性が行きすぎて歪むという“深み”を感じさせる解釈が可能でもあるのですが)。

さて、そこで今回の『手毬唄』ですが、初めてりかが生きているところで謎解きをすることで、彼女の恨みから発した狂気や連続殺人を平然とこなしてきた冷酷さを前面に押し出す感情芝居となっており、これぞ、自分が長年抱いてきたりか像! といった感じ。
この新解釈は、(現段階では賛否があるとは思いますが)もしかすると革新的なものになるカモ??

従って、ラスト近辺のストーリーの進行も珍しく原作に近い形で(また前半の総社の町の場面や、後半の神戸の町のシーンをカットするという、大胆なストーリー整理も良かったと思います)、個人的には大空ゆかりの殺害にリトライする部分を端折るかどうかが、『手毬唄』の評価ポイントの一つにもなっているので、これも満足ですな。

それと、映像化作品では珍しく鬼首村手毬唄の番外である庄屋歌の方もきちんとフォローしているところも好印象♪
また、もしかすると初映像化かもしれない、恩田幾三のモール作りの斡旋のくだりを具体的にビジュアル化していたのもナイス。

映像的にも、星護らしくて文句なし!
その恩田のシーンのどことなくミュージカル風な演出(モールの赤い部分だけ色を残した、毒々しい感じもグー)、他の作品でも垣間見られる舞台劇的な“わざとらしい”構図や独特のカラーコレクト、鬼を模した藁作りの案山子の群れ──これが、なんとも言えず禍々しい雰囲気を創りだしている──をなめての村の風景、耕助と橘警部が自転車で聞き込みのために行ったり来たりするコミカルな描写等々、楽しませてくれました。

このシリーズは、今後も継続して続けて欲しいですね〜〜。

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